悟りを開く仏教の教えとは?

仏教とは、悟りを開いた「ブッタの教え」のことです。

ブッタは、紀元前五世紀頃に古代インドのルンビニで、釈迦族の王の息子として生まれました。本名「ゴータマ・シッダルータ」です。

「ブッタ」という呼称は、古代インドの言葉であるサンスクリット語のブッタに由来し、真理に目覚めた人という意味を持ちます。

ゴータマ・シッダルータは、悟りを開いたことにより「ブッタ」と呼ばれるようになりました。

日本では、一般的に「ブッタ」を「お釈迦様」と呼ぶことが多いです。また、仏陀(ぶつだ)はブッタを漢字に置き換えた言葉です。

悟りを開くとは、心の迷いがなくなり、世の中の真理を知ることです。

ブッタが出家を決意した理由

ブッタは、王族の跡取りとして生まれてきたので、何不自由なく育てられました。生後七日目で実母の摩耶夫人(まやぶにん)を失っておりますが、母の妹の摩訶・波闍波提(まか・はじゃはだい)に育てられます。

十六歳で従妹のヤショーダラーと結婚し、間もなく長男のラーフラ をもうけました。順風満帆の人生を歩んでいたブッタなのですが、人の生老病死を目の当たりにし、人生に意義を見出だすことができなくなってしまいました。

ブッタは、出家の意志を尊重し、二十九歳のときに家族や跡取りの地位を捨てて出家しました。

ブッタが悟りを開くまで

ブッタは、悟りを求めて六年間も苦行を積みました。心身を極度に消耗するも得られるものは何もなく、難行苦行を放棄しました。

心身ともに消耗しきったブッタは、村娘から捧げられた乳粥を食べて体力を回復しました。その後、菩提樹(ぼだいじゅ)の下で端座し、悟りを開きました。

出家してから六年後の三十五歳のときでした。悟りは、苦行を積むのではなく、心の乱れを退けることによって開けるのです。

悟りを開いて以降、ブッタはインド各地を旅して回り、次第に弟子が増えていきました。

ブッタは八十歳で生涯を終えますが、ブッタの教えは弟子たちによってまとめられ、アジア各地に広まっていきました。

まとめ

仏教とは、「仏の教え」です。すなわち、「ブッタの教え」のことをさします。

ブッタは、古代インドのルンビ二で王族の跡取り息子として生まれ、「ゴータマ・シッダルータ」と名付けられました。古代インドは、現在、ネパール領となっております。

出家のきっかけとなった四門出遊(しもんしゅつゆう)という伝説があります。若きゴータマは、城の東西南北の四つの門を出たところで生老病死に出会い、出家することを決意しました。

ゴータマは、城の東門から出たところで痩せ衰えた老人を目撃し、誰でも衰えることを知り、南門から出たところで病気という自分ではどうにもできない現実に心打たれました。

西門から出たところで死者を運ぶ葬列に出会い、死から逃れられない現実を目の当たりにし、北門から出たところで出家者に出会い、自分の歩むべき道を見出だし出家しました。

ブッタは、悟りを求めて六年間を積んだが得られるものは何もありませんでした。菩提樹の下で正座をし、心の乱れを退けることによって悟りを開きました。

心の迷いがなくなり、世の中の真理を知ることを「悟りを開く」といいます。これが仏教の教えです。



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