W杯に初出場するボスニア・ヘルツェゴビナ代表の歴史

2014年のFIFAワールドカップに出場する32カ国の中でボスニア・ヘルツェゴビナが唯一のワールドカップ初出場国です。

そこで今回は、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の歴史とボスニア・ヘルツェゴビナ出身でFIFAワールドカップ初出場に大きく貢献したをイビチャ・オシム氏を紹介したいと思います。

■ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の歴史

ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国のふたつの構成体からなる連邦国家で首都はサラエヴォです。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、1946年に成立したユーゴスラビア連邦人民共和国の構成共和国の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国が誕生。1992年にユーゴスラビアからの独立を宣言するも独立をめぐって発展したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1995年まで続きました。

ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会は1996年にFIFAとUEFAに加盟。国際舞台デビューは、1998年のFIFAワールドカップの欧州予選になりました。

ボスニア・ヘルツェゴビナ代表は、UEFA欧州選手権の本大会に出場した経験がなく、2014年のFIFAワールドカップの本大会が初めての大舞台になります。

■ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のイビチャ・オシム

日本代表やジェフユナイテッド市原・千葉の監督を務めたことがあるイビチャ・オシム氏は、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォ出身です。

オシム氏は、1964年の東京オリンピックにユーゴスラビア代表選手として出場。1968年にイタリアで開催された第3回UEFA欧州選手権にもユーゴスラビア代表として出場し、準優勝に貢献しました。

1986年にはユーゴスラビア代表監督に就任。1990年にイタリアで開催されたFIFAワールドカップではチームをベスト8に導きました。 この時のユーゴスラビア代表の中心選手は、昨季まで名古屋グランパスを指揮したドラガン・ストイコビッチです。

ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領職と同じく、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会の会長職は、民族別に3つ(ムスリム人、クロアチア人、セルビア人)に分けられている3人体制でした。

FIFAとUEFAからボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会を1つに統合するように求められたが、協会は統合を拒否2011年4月に資格停止処分を受けました。

母国の危機を救うため、オシム氏は正常化委員会の委員長に就任し、ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会会長一人制の導入資格停止処分解除に貢献しました。

■まとめ

ボスニア・ヘルツェゴビナ代表はユーゴスラビアからの独立を経て、2010年のFIFAワールドカップ欧州予選のプレーオフで敗退するという悲劇見舞われました。2011年4月の資格停止処分をを乗り越え、ようやく国際舞台を経験するチャンスを手にすることができました。

そして、ピッチの外で大きな仕事をしたのが日本でも有名なイビチャ・オシム氏なのです。

ユーゴスラビアから独立したクロアチア代表やセルビア・モンテネグロ代表、スロベニア代表は一足早く国際舞台を経験しています。

ボスニア・ヘルツェゴビナ代表も大舞台で良い成績を残せるだけの実力が備わっているので、2014年のFIFAワールドカップでも自慢の攻撃力を見せてもらいたいですね。

次回は、ボスニア・ヘルツェゴビナが輩出した有名なタレントを紹介します。

※出典参照
ボスニア・ヘルツェゴビナ – Wikipedia
オシムの目に涙! 悲願達成したボスニア|コラム|サッカー|スポーツナビ



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